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Dr. Henry Taube

Henry Taube
Nov. 30, 1915 - Nov. 16, 2005

金属錯体電子移動反応機構に関する業績により1983年にノーベル化学賞を受賞。

1981年にライナス・ポーリング賞を受賞。

​1992年に先生を顕彰して The Henry Taube Institute がカリフォルニア州パロアルトに設立される。

 

< Wikipedia >

Dr. Linus Pauling

Linus Carl Pauling
Feb. 28, 1901 - Aug. 19, 1994

化学結合の本性を記述した業績により1954年にノーベル化学賞を受賞。

地上核実験に対する反対運動の業績により1962年にノーベル平和賞を受賞。

1973年にライナス・ポーリング研究所をカリフォルニア州メンロパークに設立。後にパロアルトに移転し、先生ご逝去後は母校のオレゴン州立大学に移転。

< Wikipedia >

The Henry Taube Institute

​​ヘンリー・タウべ研究所は、タウベ博士の弟子たちによって1992年にOHT研究教育機構の一部門として分子医科学研究所内に設立されました。分子医科学研究所はライナス・ポーリング研究所の生化学部門が独立したものでライナス・ポーリング研究所と同じ建物をシェアしていました。1994年のポーリング博士の逝去後ライナス・ポーリング研究所は先生の母校オレゴン州立大学内へ移転しましたが、パロアルトに残された施設と設備はヘンリー・タウべ研究所に引き継がれ独立した研究所となりました。その後時代の進展とともにスタンフォード大学タウべ研究室やヴァーチャル空間を活用した柔軟な研究教育機関となってゆきます。

そしてタウべ博士が亡くなった後は、その精神を引き継ぐ研究者の楽園として現在に至ります。​

Dr. Pauling and Dr. Taube

1901年生まれのPauling博士と1915年生まれのTaube博士は14歳ほど違いがありますが、学問的に兄弟のように親しく交わられていました。業績を単純化するとPauling博士が分子の構造的な基礎を築き上げTaube博士がそれを基に錯体の化学反応を解明し全体に動きを与えたのです。

学問以外でも深い交流があります。Pauling博士がいわゆる赤狩りの犠牲となりカリフォルニア工科大学を辞めざるを得なかった時に、スタンフォード大学へ温かく迎え入れたのがTaube博士でした。その後Taube博士はスタンフォード大学化学教室の主任となり、Pauling博士を公私両面から支えられました。

Linus Pauling研究所でも、Taube博士はPauling博士が逝去されるまで研究顧問を務められており、おふたりの交流は文字通り終生のものでした。

Mission

知的探究者の楽園を目指す

知的好奇心をふくむ広い意味で人類に貢献する

The Henry Taube Institute は、研究者とコミュニティのための滞在施設・交流施設を提供しています。​現在は、パロアルト・東京・千葉・シエナに施設があります。

Facilities
Palo Alt Research Lab.  (Palo Alto, California, U.S.A.)
Palo Alto Researchers' Nest (Palo Alto, California, U.S.A.)
Tokyo Research Lab. (Tokyo, Japan)
Chiba Researchers' Nest (Chiba, Japan)
Siena Research Lab. (Siena, Italy)

P.O. 19585, Stanford, CA 94309, USA

The Henry Taube Institute

P.O. 19585, Stanford, CA 94309, USA

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